みずの備忘録

どこかの国公立大の理学部生。ジオがすき。いきものも好き。

ジョジョの奇妙な冒険 第2巻

入院、あまりにも暇すぎる。

ということで入院中2冊目の本。漫画だけど。

 

前回はこちらから

ジョジョの奇妙な冒険 第1巻 - みずの備忘録

 

ジョジョスピードワゴンの出会い

父親がディオに飲まされた薬の正体を確かめるため食屍鬼街(オウガーストリート)に繰り出したジョジョ

そこで荒くれ者たちがジョジョを殺そうと襲ってくる。

ジョジョは「どんな妨害があろうと…突き止めるのみ!毒薬の売人を!解毒剤を!!」

と荒くれ者たちに闘いを挑む。

そのボスであるスピードワゴン

ジョジョの闘いぶりに「こいつには指どころか両足だって失ってもいい覚悟があるッ!そして恐怖や痛みに耐える精神力がある!

そして急所を外して攻撃をするという「紳士」ぶりに感服し、東洋の薬の売人の居場所を教える。

 

石仮面の人体実験

一方ディオは、ジョジョがこっそり研究していた石仮面は、人の血を吸うと突起が出てくることにジョジョ同様気が付いていた。(1巻)

ディオはこの石仮面をジョジョに被せたら、出てくる突起で脳みそを貫通して殺せるだろうと画策していた。

ディオは人体実験として、街で絡んできた荒くれ者に仮面を被せる。

すると、仮面は被った荒くれ者を殺す…のではなくなんと、脳の未知なる力を引き出し、凄まじい力とどんなに攻撃を受けても死なない体を手に入れさせたのだ。

出てきた太陽の光で石仮面は取れ、ディオは間一髪のところで死を免れる。

 

ジョジョとディオの対峙

ジョジョは東洋の薬の売人、付いてきたスピードワゴン、警察と共にディオの帰りを待っていた。

ディオは大人しくジョジョに手錠をかけられる振りをして、石仮面を被る。

人間の力を超越したディオは、ナイフでジョジョを殺そうとする。間一髪でジョースター卿がジョジョを庇い、死んでしまう。

警官がディオを撃つが攻撃は効かない。

 

ジョジョは一か八かでディオを誘い込み炎でディオを焼こうとする。しかし、石仮面の力で、ディオは皮膚を焼きながらも皮膚を再生しながら攻撃してくる。

炎は屋敷中に周り、スピードワゴンが逃げろという中、ジョジョは「ぼくが好奇心で研究していた石仮面が魔物を作り出す道具だったなんて……僕の責任だ…戦わねばならない!」とディオを再び誘い込み相打ちしようとする。もつれあった2人は、階下に落ちてゆき、運良くディオが下になって、ディオだけジョースター家の守護神 慈愛の女神像に心臓を刺される。ジョジョは窓の外に放り出されて間一髪命を取り留める。

 

ジョジョのその後

スピードワゴンは重症を負いながらもジョジョに会いにゆく。そこに居たのはエリナだった。スピードワゴンはエリナに締め出されるが、陰からエリナと意識を取り戻したジョジョが涙ながらに邂逅する姿をみて感涙する。

一方、瓦礫の中から石仮面を持ち去ろうとした東洋の薬売人から力を奪うディオらしき顔が…?

 

ジョジョの奇妙な冒険 第1巻

同じ部活の友人にジョジョを布教されて漫画を貸してもらった、そして入院というしっかり本を読む機会を得たというひょんなことからこの本を読み始めた。

 

現在、入院してからの読破数1冊である。

 

主な主人公は

ディオ・ブランドー

ジョナサン・ジョースタージョジョ

の2人てある。

 

最初のシーンは古代メキシコ・アステカ帝国の「石仮面」を付けた男が族長(オサ)と呼ばれ称えられるシーンから始まる。

石仮面は人の血を吸うとひび割れから突起が伸び仮面をつけた人に永遠の命を与える、というもののようだった。

しかし、この石の仮面の部族はその目的を遂げず滅びてしまう、その謎は石仮面にある、という文言でこのシーンは終わる。

 

次のシーンはディオの父親が死にかけており、ディオに「自分が死んだら、自分に恩があるジョースター卿(ジョジョの父親)に助けてもらえ」と伝える。

 

ディオの父親の回想シーン

12年前、ディオの父親は、偶出くわした馬車の事故で、その馬車に乗っていたジョジョ(当時赤ちゃん)の父親のジョースター卿の金品を奪おうとする。

だが、ジョースター卿はディオの父親が自分を助けてくれたと勘違いをし、感謝をする。

 

ディオとジョジョの出会い

ディオは父親が死んだ後、ジョースター卿の元に向かう。

ジョースター卿の元には、ディオと同い年の息子ジョジョがいた。

ディオは、ジョジョを追い詰めジョースター卿の遺産をいつかは乗っ取ることを決意する。

 

ディオはジョジョにスポーツや拳で力の差を見せつけたり、友人を奪ったり、ジョジョの仲のいい女の子にキスをしてみたり、ジョジョの愛犬を殺すなど、徹底的にジョジョを追い詰めようとする。

しかも、ディオは賢くやり方は狡猾であり、ジョジョが自分でヘマをしているように見せかけていた。

そうこうしながら7年の月日が経った。

 

成人

ディオもジョジョももう成人という頃になり、ディオは本格的に遺産を乗っ取ろうとしはじめる。

ディオは東洋の毒薬を使ってジョースター卿を殺そうとする。また、実はその薬はディオが実の父親を殺すことにも使っていたことが発覚する。それに気づいたジョジョは、

なんとしてでもそれを阻止しようと、薬の効果を調べるため食屍鬼街(オウガーストリート)に繰り出すところで1巻は終わりである。

 

感想

主人公のうち1人がここまでの極悪人、というパターンもなかなか珍しいのでは無いのだろうか。また、最後は勇ましい姿を見せてくれたとはいえ、正義側であるジョジョがディオに立場を奪われていくことも。

 

とてつもない失敗の世界史

たまたま、学校図書館の新着図書コーナーに置いてあった本で、題名の面白さから手に取ってしまった。

心理学、歴史学、人類学、科学、考古学など様々な知見から人類の失敗の歴史やその理由などを述べている。

一章ごとに紹介しようと思う。

 

第1章 人類の脳はあんぽんたんにできている

 

私たちの独特の思考は

月に人を送ることが出来るほど賢いくせに、どうして別れた元カノにあんなメッセージを送ることが出来るのだろうか。

その答えは私たちの脳の進化のしかたにある。

 

進化において肝心なことは死の危険をかいくぐり、確実に遺伝子を次世代へ繋げることである。その遺伝子が後に子孫を絶滅させてしまうものであったとしても今この時に都合が良ければ選ばれていく。

つまり、その場しのぎの間に合わせや近道を緩くつなぎあわせて出来たものが私たちの脳である。

専門用語を用いると、このような脳の近道は「ヒューリスティクス」という。これは生き延びるのに必要不可欠なもので、ある程度正しい答えを近道で導き出す思考回路である。

近道とは、例えば、友達が「紫の実を食べてお腹を下した」と言ったら、自分で食べて確かめるより、それを信じる方が良いだろう。

 

計算科学でも用いる用語らしいが心理学的用語でここでは用いている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2592%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B9

 

しかし、ここで問題がある。脳の近道(=パターンを見出す能力)は便利で役立つことと同じくらい間違った道にも通じている。

脳はパターンを見つけるのに夢中になりすぎて、パターンのない所にまで見出してしまう。

 

例えば、夜空の星を見て、「あれはラマを追いかける狐だ」などなら良い。ただ、見出した想像上のパターンが「大方の犯罪はあの民族のしわざだ」となってくるとゆゆしき問題となる。

このような誤判断でパターンを見出す現象は心理学用語で「錯誤相関」「クラスター錯覚」などと呼ばれている。

 

また、主な近道は2つあり、最初に示された事柄に大きく印象付けられてしまう「アンカリング・ヒューリスティク」と取り出しやすい記憶情報を優先的に頼って判断してしまう「利用可能性ヒューリスティク」であり、どちらも厄介事を引き起こす。

 

「アンカリング」とは何かを決断する時、とりわけ情報が何も無いときに耳にした最初の情報から多大な影響を受けるということだ。

例えば、この家の価値は6000万円以上か?以下か?という問いを投げられたとする。この時、事前に「9000万」という数字を見せられた人の方が「3000万」という数字を見せられた人より家の価値を高く見積もる傾向にある。

これら9000万、3000万などという数字は家の価値とは無関係に示されたものであるのにも拘わらず、である。

 

利用可能性ヒューリスティック」は、「取り出しやすい」記憶情報に優先的に頼ってしまう現象である。最新の出来事や、特に心を動かされた出来事に影響を受ける。例えば、自動車事故より、飛行機事故(つまり自動車事故より滅多になく悲惨)を怖がる人が多い理由がこれである。

 

「アンカリングヒューリスティック」と「利用可能性ヒューリスティック」はどちらも危機一髪の判断や比較的どうでもいい日常のこまごました判断を下すのには役立つ。だが、複雑な物事を考えて確かな情報に基づき判断を下したいなら「ヒューリスティック」はちょっとした悪夢になりかねない。

 

次に、しくじるかも知れないという考えに対する脳の抵抗はいっそう大きい。これは「選択支持のバイアス」と呼ばれ、1度私たちが何か一連の行動をすると決めたら、それは正しい選択だったという考えにしがみつく。例えば、国政こ何もかもが最悪な状態になっているのが明らかなのに、大臣らが「前向きな進展があった」などと頑なに言い張るようなことだ。

状況によっては、それが誤りだと伝える行為そのものが、おのれの誤りを、誤りなのにも拘わらず、もっと頑なに信じさせるというデータさえある。

 

そして最後に、わたしたちは自分を凄いと思っている。実際はすごくないのに、自信過剰で、少しあんぽんたんとさえ言える。研究によると、わたしたちは自分の能力をやたら買い被っている。学期末のテスト結果を学生に予想させると、多数が自分を上位2割以内に置くという。

認知の問題とき、ダニング=クルーガー効果はよく知られている。これは、「特定の分野で能力が高い人はその分野での自分の能力に謙虚になる傾向にある。一方、その分野で何の能力もない人ほど、自分の能力を無闇に高く評価する」というものである。

こうした認知上のヘマが積み重なっていくと、同種の失敗を何度も繰り返すことになる。

 

まとめると

・わたしたちは世界を理解し、そこにパターンを見出したい欲望がある。世界が全くそのように機能していなくても「世界はこのように機能している」と思い込むことに多大な時間を費やしている。だから、わたしたちはフェイクニュースに騙されたり、宗教やイデオロギーの思想が生まれる。

・人類はリスクを査定し、前もって予測することが苦手である。さらに、わたしたちは対立する証拠は悪びれずに無視し、あなたは間違っているという意見を聞き入れない。

・計画を立てる際に、この種の甘さが入る動機は欲望と利己性である。特に得られるものの誘惑があまりにも強いとき、人はそうするのが妥当かを問うのが並外れて苦手である。

 

 

 

 

 

 

eco検定テキスト①

本格的に行きたい大学院が決まってきたので、院試の専門科目(環境学)対策に、eco検定公式テキスト(改訂第8版)を選んだ。これから、その内容を度々残しておこうと思う。勉強記録として。

 

1.環境とは何か、環境問題とは何か

 

環境の定義:

人間及び人間社会を取り巻く人間以外の生物、生態系、そして山、海、川、大気などの自然そのもの

 

環境問題とは:

環境の復元能力を超えた採取による資源の減少、廃棄物や汚染物質の排出に伴う環境汚染、生息・生息地の縮小によゆ野生生物の種の減少といった異変。更に、環境の異変が人間の健康や社会経済活動を営むうえでの支障を、生じさせるなど、人類の生き方そのものを問う厳しい問題のこと。産業革命を機とした。

 

環境問題の区分:

地球環境問題…地球全体または広範な部分に影響をもたらす環境問題

地域環境…影響が地域的であり、原因の人為的行為と影響の関係が比較的明瞭なもの。

※但し、ふたつが混在してはっきりどちらかに区別できないものもある

 

 

 

 

 

 

正欲ー朝井リョウ

この本は現在、病気療養中に読んでいる。入院が決まって、暇つぶしのために本を3冊買ったうちの1冊である。

書店で以前おすすめコーナーで見かけ、友達も読んでいたのでこの本を買った。

 

この本は最初こんな一文から始まる。

(中略)

この世界が、【 誰もが「明日死にたくない」と感じている】という大前提のもとに成り立っている

(以下略)

 

そして次に、児童ポルノの記事が載っている。

▫️児童ポルノ摘発、小学校の非常勤講師や大企業の社員、大学で有名な準ミスターイケメンも 自然豊かな公園で開催されていた小児性愛者たちの’’パーティ’’

 

そして、犯人たちの名前と特徴、事件の概要が載っている。

①佐々木佳道 容疑者

食品会社に勤めていた30歳の妻がいる男性

②矢田部陽平 容疑者

小学校非常勤講師

③諸橋大也 容疑者

国公立大学3年生

 

 

その後のこの本の構成としては、主に3人の登場人物の話を章毎に順々にしている。

1人目は

寺井啓喜。

神奈川で刑事として働いている男性で、妻の由美と私立の小学校を不登校になった息子泰希と暮らしている。

2人目は

桐生夏月。

大型ショッピングセンターの寝具店で働いている女性で、人付き合いを疎ましく思っている。

3人目は

神戸八重子。

大学2年生で、ミスコン・ミスターコンが例年の目玉になっている学祭に風穴を開けようと、ダイバーシティフェスなるものを企画している。

 

本を読み進めていくうち、3人の社会の捉え方や性癖などが明らかになり、更に冒頭の児童ポルノ法違反の記事に出てきた面々も彼らの生活に登場していく。

1人目の寺井啓喜。

妻の由美がセックスの時に毎回涙を流すことがきっかけで、由美の涙に興奮するようになったことが分かってくる。

また、不登校の息子の泰希は、不登校児支援のNPO団体で知り合った、同い年の彰良(あきら)とYouTubeを始める。2人の動画にはリクエストがやってくる。啓喜は、息子に学校に戻って欲しく、それが学校に行かずYouTuberになりたい泰希と泰希を応援する由美の間にすれ違いが起こってくる。

 

2人目の桐生夏月。

異性や結婚には全く興味がなく、水しぶきに興奮するという性癖の持ち主。自分が異端の存在であることを強く気にしている。世間や周りの人間に対して妙に冷めた対応をするのもそのせいかもしれない。

中学の同窓会で、同じく水フェチの佐々木佳道と出会い、彼と結婚した振りをして一緒に暮らすこととなる。世間の異端から外れないために。

 

3人目は神戸八重子。

たまたま侵入した兄の部屋のパソコンに、性的な動画が流れていたことがきっかけで、異性の目や男性が苦手になる。唯一怖いと思わなかったのは、ダイバーシティフェスで知り合った諸橋大也だけだった。大也は大也で女性に興味がなく、(実は後に水フェチであることが明らかになる)それが八重子に恐怖を感じさせない原因のようだ。

 

 

 

この本の後半では、

佐々木佳道

諸橋大也

などからの視点からの話が続く。

 

 

この本は、うまいな、と思う表現が多い。

特にテーマであろうと思われる性、マイノリティに関するもの。

例えば

•啓喜は、由美の髪の毛から漂うトリートメントの匂いを嗅ぎ取りながら、大きく広げた足の付け根で血液が渦巻き始めたのを感じた。

・自分の全身が誰かの全身と触れてるうちは、この身体に染み付いている悲しみや寂しさの歴史が毛穴から溶け出てくれるような気がした。

・「異性愛者だって誰だってみんな歯ぁ食いしばって、色んな欲望を満たせない自分とどうにか折り合いつけて生きてんの!」

・「朝起きたら自分以外の人間になれていますようにって、毎晩思うんだ。性欲が罪に繋がらないならどんな人間だっていい。」

 

以下ネタバレ注意⚠️

水フェチで繋がりを求めていた桐生夏月、佐々木佳道、矢田部陽平、諸橋大也はネット上でその繋がりを作って生きていこうとする。そのうち夏月を除く3人が水を公園ではね飛ばして動画を撮影していたところ、運悪く佐々木の同僚の子どもが混じって一緒に遊ぶことになってしまう。その時に撮影した写真から、児童ポルノ法違反だと警察から疑われ、自分の性癖を言えないままで終わる、というのがこの本のオチである。

 

感想

まずこの世界には、色んな性癖を持つ人がいるんだなあということが分かった。そしてそれがマイノリティのために周りに理解されず苦しむことも。ダイバーシティなどと言いながら、結局この世は男性と女性が付き合ってセックスをするのが当たり前だと思われてること。

そうじゃないと変だと思われ社会の異端になってしまうこと。その性癖が人に危害を及ぼすものでは無いにしろ。

男性が女性に、女性が男性に性欲を抱くのは通常と思われ規制されないこと。

 

終わりがバッドエンドで考えさせられてとても良かった。結局啓喜の息子の泰希の不登校問題は解決しないし、水フェチである佐々木たち「わかって貰えない」と諦めて黙秘を貫いて恐らく起訴されること。せっかく繋がりができた夏月が1人になってしまうこと。

誰にとっても幸せな結末になっていないのだ。

 

かがみの孤城

大学2年の冬休みから春休みにかけて読んだ小説。伏線回収が上手かったし感動した。

 

f:id:mizu_rainforest:20220210214424j:image

 

主人公は、雪科第五中の中一の安西こころ。こころはいじめがきっかけで不登校になってしまう。4月のある日、いつものように学校に行けず、自分の部屋にいたこころは、部屋の姿見が光っていることに気が付く。鏡に近付くと中に吸い込まれ、気がつくと西洋風のお城の中にいて、狼の面を着けた6歳程の少女「オオカミさま」が立っていた。なんと、来年の3月30日までの間に城の中のどこかに隠されている、「願いの鍵」を見つけたらなんでも願いを叶えられるという。他にも、自分と同じようにお城に招かれた中学生が6人いた。

7人は少しずつ打ち解けていき、他の6人も実は、不登校だったことが明らかになる。6人は一緒に遊んだり、たまにケンカをしながらも、部屋の鍵を探してく……というのが大まかなあらすじ。

 

伏線回収がすごいな!と思ったのは

・まず何より「オオカミさま」は実は死んだリオンの姉で、リオンの願いを叶えるために「城」を作った

・同じ日付でも6人それぞれ曜日が違ったり、話が噛み合わなかったのは、それぞれが違う時代から来ていたから

・アキとリオンとスバル以外の4人のところに来ていたNPO不登校の子の支援教室の先生「喜多嶋先生」は実は未来のアキだった

など……

 

途中アキが母親の再婚相手の父に性的虐待を受けそうになったシーンや、こころの不登校のシーンを自分に重ねる(虐められてた訳では無いが、体の問題で私も学校に行けず、部屋でずっとぼんやりしてたことがある)など、辛い場面もあったが総じて良い本だった!

 

ヒトはなぜ自殺するのか〜死に向かう心の科学〜

第1章無の誘惑

この章では、序論、つまりどういうことを書くのかや、自殺を考えたことがあることを含め著者の今までの人生について述べられている。

 

第2章 火に囲まれたサソリ

この章では、心があり、更に自殺するのは人間だけか又は動物もかについて考察している。心に残った部分について残しておこう。

 

マルティン・ブリューネという精神神経科学者は自殺行動にVENというニューロンが何らかの役割を果たしていると考えている。

VENは大型類人猿、イルカ、ゾウなどとりわけ複雑な社会をなす動物にあるが、ヒトの脳ではそれが大きく、数も格段に多い。VENの真の役割は未だ謎だが、ヒトの適応的成功に社会的認知がいかに重要だったか分かる。

また、精神病患者の脳のうち、VENが密に存在していたのは自殺者の脳だった。

ブリューネらは『否定的事故評価、自己卑下、恥辱、罪悪感、絶望感に繋がるやり方で自省する事が精神病患者の自殺のリスクを高くするのかもしれない』と推測する。つまり、精神病だけでは自殺は引き起こせない。精神病患者が自殺するようになるためには、まず自分が精神病だと自覚し、その事を他の人に知られていると思う必要がある。

このように著者は述べている。私なりに分かりやすく言い換えると、他者の目に悩まされ、恥辱を感じることが自殺を引き起こすのだと考える。著者も述べていたが、武士は罪に問われて殺されるより切腹する方が栄誉としていたのは好例だろう。

 

最後に著者は、動物に心がないとは言えないが、自殺をするのはヒトだけだろうと結論づけている。例えば、飼い主が死に、悲しみのあまり拒食症になったイヌがいても、それは食欲の減退の結果死んでしまっただけであり、イヌは死ぬことを予見していたわけではないだろうのしている。自殺の定義には死ぬ意図があるか否かが重要であり、このような場合には自殺の定義的特徴が欠けているであろう。

 

第3章 命をかける

この章では、自殺のような明らかな自己破壊行動が、実は適応的目的のために進化した、つまり自殺行動をもたらすことがあるのは、その方が生存には有利な面があるからなのだろうか、ということについて考察している。

現在マクマスター大学で心理学の教授をしているデニス・デカタンザロは思春期の頃に兄が自殺したことをキッカケに進化や適応などの自然科学に興味を持った。彼の『自己破壊と自己保存の数学モデル』というアイデアが面白かった。

そのモデルが示唆していたのは、私たちが、自分の直接的な繁殖の(すなわち多くの子どもをもつ)見込みがなく、同時に、生き続けることが生物学的血縁者の繁殖を妨げて、彼らの遺伝的成功を脅かす時に、自殺することがある。

というものだ。著者があげた具体例だと、生活が上手くゆかずギャンブルに失敗して借金を抱え、成功している兄弟に寄生し、本来ならその兄弟の可愛い子どもたちに行くはずの資源を食いつぶす、無精髭を生やした中年男のイメージがそうであろう。デニスの論文の引用が以下である。

もしある人の現在や未来の行動がその人の遺伝子の地位を変える可能性が無いのなら、自殺を妨げる生態学的圧力もない。もし子孫を残す可能性がなく、自分自身や家族を適切に助けることが出来ず、遺伝子を共有するほかの人々の繁殖にも寄与出来ないなら、死んだとしてもその人のもつ遺伝子の頻度には影響が無い。その結果、自殺が遺伝子プールからまだ除去されていない遺伝子を除去することはない。このように、自殺が起こるように見える限らせた生態学的条件下では、自殺を妨げる淘汰圧はないだろう。・・・・・・その人が資源を消費だけして生産的でなかった場合には、それがその人の生存に反するように作用する。「生きる理由がない」場合には、生きないというどんな些細な理由も行動に影響をおよぼすようになる。

ただ、この説には難がある。例えば、自殺して残されたものたちに大きな悲しみや不幸をもたらすし、後追い自殺をする人も出てくるかもしれない。また、自殺者が出たという汚名がついてまわり、その家族は結婚相手を見つけられない可能性だってあるからだ。(勿論死ぬ事で汚名が消えることだってあるが)

 

また、進化心理学者のポール・ワトソンとポール・アンドリュースは、「無快感の持続は鬱病の特質であり、快に注意が向かないようにするための方策の反映なのかもしれない」と論じている。

鬱の感情麻痺効果は、不必要な快の出来事に注意が逸れないようにして、重要な適応問題の解決に集中出来るようにするのだという。著者曰く、鬱による精神運動抑制(セロトニン不足によって体の動きが鈍くなる)」と考え込むことの組み合わせは、その人の遺伝的利益に重大な脅威を与える切迫した難題に焦点をあてさせるために自然が採用したやり方では無いかとしている。鬱になると、一般的に基本的な認知機能が損なわれるが、もし鬱で自分のおかれた状況を正確に把握出来ているのなら、その人たちはうまくやっているのだ。

つまり、鬱は実は意味のある(健康的ですらある反応)だと言えるかもしれない。

ワトソンとアンドリュースは次のように結論している。「セラピストが効果的な話し合い療法を行える時でさえも、惨めな状態ではあっても、鬱が社会的ネットワークに対して適応的な力を発揮できるようにするのがベストかもしれない。・・・・・・そのもとにある社会的問題に対処することなく薬だけが与えられるべきではないし、また薬が鬱の潜在的な適応機能―抑鬱的反芻を弱めるものであってはならない」

著者はデニスと反対の意見を述べる学者の意見を述べ、最後にこう結論している。自殺が進化的適応だとは言いきれないが、否定もできない。

 

第4章 自殺する心に入り込む

この章では、著者の敬愛する社会心理学者のロイ・バウマイスターの逃避説を説明している。自殺する人間は自殺に至る6つのステップを順に移動していき、その移動ごとに危険度も増していく。ただ、これらのステップを踏んでもそこから抜け出すことは可能だという。

 

段階1期待値に届かないこと

自殺者の大部分は平均以上の生活をしているという。それまで平穏無事で快適な状態にあって、突然生活水準が大きく落ち込んでしまうと、それがその人を危険な方向に向かわせることがあるとロイは警告している。

貧乏なだけでは自殺のリスク要因にはならないが、富裕から貧困への転落はリスク要因となる。また、生涯独身であることはリスク要因とはならないが、結婚した状態から突然独身となると大きなリスク要因となると言う。

段階2 自己への帰属

自殺する人間は、自分自身を嫌悪するが、他方でほかの人々はみな良いのに自分だけが悪いという誤った印象を持ちそのことに苛まされる。鬱状態になると、社会的拒絶のにサインに過敏になり、まわりの人間がどの程度私たちの欠点に注目しているかを過度に気にし始める。自己はまったく魅力にかけ、どうしようもなく芯まで腐っているように思える。

そして、ふつうの善良な人々から自分が完全に切り離されているという感覚を持つ。我々は誰かが自殺をしてその真実を知ると、何故信頼できる人に打ち明けなかったのかと問わずにはいられない。しかし、心を開くことはその人にとっては恐ろしいことであり、打ち明けるよりも自殺する方が相対的に苦しみの少ない選択肢として感じられたのである。

段階3 自意識の高まり

ロイの説の核心は、自殺の動機が不快で鋭利な自意識から逃れたいという欲求だということにある。自己破壊の思考回路にはまり込むと、自己中心的になり、他の人がありえないほど遠くにいるように感じられる。これは所謂ナルシストとは異なり、自分の欠点への不必要な執着である。すなわち、個人的基準に対して自分を絶えず、厳しく比較する結果として、自分がいかに卑劣で可愛げがなく、無用な人間であるかを常に考え、自分を意識することに耐えられないような苦痛をもたらす。

また、自殺をした人の遺書やSNSに投稿された文章を見てみると、偽物の遺書(自殺するとしたらという仮定の下、自殺傾向のない人に書かせた遺書)と比べ、本物の遺書には一人称単数が頻出する傾向があるという。

段階4 否定的感情

ロイの説では、自殺には意識の喪失という魅力があり、自殺はいま経験しつつある「否定的感情」という苦痛を終わらせることにある。心の平和を見いだせないなら、心の不在の平和のほうを求めてしまうのだ。本当は死ぬ気のない、助けを求めたり注意を引くための自傷行為や自殺未遂でも、これは当てはまりそうだ。自殺未遂により、少しの間昏睡状態に陥って病院で面倒を見てもらったとしたら助けが得られるだけでなしに1種の逃避を得られるからである。

段階5 認知的解体

認知的解体とは読んで字のごとく、認知的にとのごとがバラバラになって、低次の基本的な要素になってしまう。このプロセスの一部として、自殺する人間は、時間が這うように感じられる。現在がエンドレスで、なんとなく不快に感じられ、時計を見る度に「これだけしかまだ経ってないの」と驚かされると言う。ロイは、この現在にしか心が向かないというこの時間的狭窄は、実際は防衛機制であり、過去の失敗に留まり続けるのをやめさせ、耐え難く望みなき未来に思い悩ませないようにする為と考えている。このように思考が解体されて意味の無い瞬間に占められることによって、前の段階からの否定的感情はある程度和らげられる。これは、なぜ自殺の多くが、感情を爆発させた後に起こるのではなく、自分でも驚くような平坦な感情状態の後に起こるのかを説明している。

自殺する人間の認知的解体のもうひとつの側面は、具体的思考の劇的増加である。この具体性は遺書の中に現れる。いくつかの研究によると、遺書の内容は「息子には良い奴になれと伝えてくれ」のような内省的思考を欠いているのに対し、「猫に餌をあげてください」といった日常的な指示が多くなる。

自殺の想念をもつ多くの人は、自殺を図る直前の数週間、没入することを目的として、退屈なルーティンの勉強や作業や仕事に浸り、ロイのいう「感情死」の状態に入る。また、自殺を段取るという暗く単調な作業もありがたい一時的な救済になりうる。この時には遺書の中に肯定的な感情も綴られることがある。ロイ曰く、「自殺の準備をしている間は、もう未来について思い悩まなくてすむ。というのも、もう未来はないと決断してしまっている。過去もそれにより精算され、悲しみや不安を引き起こすことは無くなる。このために臨床心理士でさえ、圧倒的多数が自殺の前に危険を察知できなかったという。実際、彼らに自殺の数週間前の患者の様子について思い返すように言われると、自殺のリスクはかなり低いと思ったと報告されている。

段階6 抑制解除

ロイのモデルでは、段階が進むにつれて、その人は通常の体験から遥かに逸脱した変性意識状態になる。ロチェスター大学の精神科医、キンバリー・ヴァン・オーデンらの研究では、行動の抑制解除の構成要素を明らかにしている。自殺しようとしてる人間は、自殺願望に加えて「自殺のための能力を獲得する必要」がある。この能力は、死に対する恐怖の低減と身体的苦痛への耐性の増加を含んでいる。それは恐怖や痛みに対する体制を生み出す状況に晒されることで獲得される。これこそがら自殺を最も的確に予測する指標のひとつがそれ以前の自殺未遂である理由だ。それはプールの飛び込み台からジャンプするのは一回目が一番怖いのと似ている。

また、恐怖をもたらすほかの身体的苦痛の体験も自殺のリスク要因になる。身体的・性的虐待、戦場体験、DVなども間接的にその人を自殺の身体的苦痛に対して「準備」させる。これこそが、自傷行為が懸念すべきものなのかという理由である。加えて、衝動性、大胆さ、痛みへの耐性といった遺伝的差異もなぜ自殺傾向が同じ家系に見られるのかを説明する。そして自殺行動をしやすくするのは、それ以前の痛み刺激への暴露だけではない。データはその最終段階にある人々が通常の時よりも社会的に受け身で従順であり、これが痛みに身を委ねるのに役割をはたすことを示している。

 

自殺の予防としては、ロイは「このようなプロセスを知り、今の考えが良いかどうかを判断した方がいい。そうすればそれが少なくとも一時的な状態だと気がつける。自分にこう言うといい。『来月も同じように感じてるなら、その時は自殺を考えよう』と。」

 

第5章 ヴィクがロレインに書いたこと

この章では、実際に自殺した高校生の女の子ヴィクトリア(ヴィク)の日記を4章での逃避説のどの段階ごとに追って紹介している。

ロレインというのはヴィクが日記を宛てて書いている架空の人物である

段階1 期待値に届かないこと

ヴィクは裕福な中産階級の家庭で不自由なく育った一人っ子だった。日記にはこうした見かけの状況と自分の感じ方のギャップについても考えていた。「自分の部屋があり、名門校にも通い、私にはこんなに沢山のチャンスがある。幸せなはず。なのにどうしてこんなにわがままなのか。これからの人生が待っているのに、試験の成績に対する不安というくだらない問題にかかずらっている。でもどうしてこのまま生きてゆかなくてはならないのだろう?」

段階2 自己への帰属

日記を通してヴィクは理想化された他者、特にクラスメートと自分を頻繁に比較している。ヴィクはほかの人々のことを悪くいうことは殆どなかったが、自分に対しては執拗に軽蔑し自分の欠点が克服できないという確信を持ち続けた。

段階3 自意識の高まり

ヴィクは自殺へと至るプロセスの一部として、近くのものしか見えない状態、自分の不安の原因から内なる目をそらすことが出来ないという状態にあった。彼女から見るとほかの人々は、「自分の闇とは無関係」のように振る舞い、しかも自分の持つ問題から気を逸らしているように見えた。彼女は、自分の思考からできるだけ距離を取るという心理的戦術の機能と効用をよく知っていた。何もかも残したまま、自分の問題から文字どおりエスケープする旅を夢想した。

段階4 否定的感情

ヴィクは深刻な心理的苦痛の状態にあったが、その苦しみを親友グレイス以外に打ち明けることは無かった。「鎮静作用のある憂鬱」が支配し、明るい未来を考える能力が自分の否定的感情によって損なわれていることに気づいていた。

段階5 認知的解体

自殺の予感が強まるにつれ、ヴィクは倦怠感―情熱が鈍麻し、計画的でなくなり、時間がゆっくりすぎる息苦しいグレーゾーン―に陥った。彼女は自分の思考プロセスのこの変化を「急激ではないが、着実に時分を蝕んでゆく対処メカニズムのようなもの」「空腹でもないし、満腹でもない。何かをしたいわけでも、退屈でもない」と述べている。しかし気持ちを切り替えることは出来なかった。のしかかってくる宿題の重圧が彼女を動けなくしていた。何をしなければならないかは分かっていたが、それは感情に繋がらなかった。さらに困ったことに、未来を予測する能力が損なわれていることに彼女は気付いた。「今は未来が自分の体さえみえない薄暗い場所のように感じられる。・・・行く手にはなにもない。」ヴィクの書くものを読むかぎりでは、逃避の勝道はまだ強かったが、心のなかで逃げてみることが急速に出来なくなった。代わりに彼女は、思考が熱を帯び沸騰するのを許すようになる。自分の死の詳細を考えることに熱中し始めたのだ。明日がないことになぐさめを見出して、ヴィクの気持ちは安定し、不安も和らいだ。しかしこれは危険な兆候だった。ヴィクは日記では、自分の死がほかの人々にもたらす苦しみのことを思って自殺する事にためらいを見せていた。しかし次第にら無感動の状態が計画の遂行を阻んでいたこの感情を覆い隠すようになる。「愛してくれている人たちに対して自殺という最悪なことをする。驚くことにそれでいいと思っている。」「驚くことに」という表現からわかるように、彼女はそのような感情が自分らしくないことに気がついていた。彼女は自分が制御不能なプロセスに捕まってしまい、悲劇が展開してゆくのをただ、見ているしかないということが分かっていた。

段階6 抑制解除

3月半ばごろ、ヴィクの思考ははっきり死にむくようになった。ヴィクの書くものには、シュナイドマンの言う赤信号のことば「だけしかない」が増えている。生きるか死ぬか、彼女には2つの選択肢しか見えなくなった。抑制解除のプロセスが進行中だった。「本当に怖い。でもしなければ。・・・怖いのはそれが上手く行かないこと。どうか、うまく行きますように。そのことが頭から離れない。」ヴィクの思考は完全に自殺に飲み込まれてしまっていた。ヴィクは自分の死が愛する人たちに与える精神的ショックのことを考え続けていたが、日記の終盤では永遠に逃避したいという願望がそれを圧倒し、自殺してしまう。

 

6章 生きる苦しみを終わらせる

この章では、メディアを介しての自殺の伝染について考察している。

ティーヴン・スタックによると、自殺の伝染は芸能界のスターの自殺報道の後に起こることが多い。ニュース報道の程度(その自殺を伝えた報道機関の数で測定される)と模倣自殺の間には正の相関があるという。第1面の自殺記事や自殺の頻繁なニュース報道にはあきらかに問題があるのだ。

また、自殺におけるインターネットの役割が顕在化した。そのひとつはネット心中であり、2005年に入間市で互いに面識のない3人の若者が自殺サイトで出会い、練炭を燃やして自殺した。日本のメディアはこの方法をネット心中として報道し、事件報道から数ヶ月の間にネットを介した集団による練炭自殺が多発した。

いっぽうで、ネットを介して自分と似た状況の人と繋がって心の安らぎを得る場合もある。これがどのくらい自殺を抑止しているかは測る術がないが、助かっている人もいるだろう。

 

第7章 死なないもの

この章では、自殺と人々の死や未来への認知、さらに宗教について述べている。

宗教と自殺の関係は込み入っていて、死後の世界に対する信念が自殺という意思決定に影響する証拠も、そうでない証拠もある。ただ、どの研究でも宗教を信じている人はそうでない人より自殺することも、自殺について考えることも有意に少ないという。

興味深いことに、人間は生まれつき死後の世界を信じているという。これは先を予知する能力の錯覚である。著者が行った実験では、人形のワニとネズミを使い、ネズミがワニに食べられるという場面を年少児と年長児にそれぞれみせた。年少児は年長児に比べ、ネズミが死んだ後も心理的な能力を持っていると答えることが多かったという。もし死後の世界の信念が単に文化の産物や教わったことであるなら、これとは逆の結果になったはずである。実際、年長児になるほど、霊的なことや宗教的な教えに触れる機会が多くなる。以上のことは、死後も意識は残るという信念が人間の「デフォルトの姿勢」だということを示している。

自殺は心のシステムの欠陥なのかもしれない。1990年代半ば、進化生物学者のダニエル•ポヴィネリとジョン•キャントは、自己意識の起源に関して「樹上移動仮説」と呼ばれる独創的な説を提案した。アウストラロピテクスが出てくる以前、その祖先となる種にオレオピテクスという大型の類人猿がいた。(現在の小学5年ほどの大きさ)オレオピテクスはオランウータンのように樹冠付近にいて枝から枝へゆっくり這って移動していたと考えられている。大型のオレオピテクスは、枝を掴み損ねて落ちるとほぼ確実に命取りになったため、次の動きを賢明に選択しなければならなかった。ポヴィネリとキャントは、折れやすい枝に巨体を置くというこの問題が、のちに人間の想像力の大火を引き起こすことになったきっかけの火花だったと推測している。心の中でありえる未来の環境に自身を投影することによって、オレオピテクスは頭の中で体の動きをシュミレーションしてうまく動くことができたのだろう。

しかしいったん自身を未来に投影できるようになると、可能性をあれこれ考え、もしあの時こうだったらということまで考えて動けなくなってしまったのだ。想像力は諸刃の剣となったのだ。