みずの備忘録

どこかの国公立大の理学部生。ジオがすき。いきものも好き。

正欲ー朝井リョウ

この本は現在、病気療養中に読んでいる。入院が決まって、暇つぶしのために本を3冊買ったうちの1冊である。

書店で以前おすすめコーナーで見かけ、友達も読んでいたのでこの本を買った。

 

この本は最初こんな一文から始まる。

(中略)

この世界が、【 誰もが「明日死にたくない」と感じている】という大前提のもとに成り立っている

(以下略)

 

そして次に、児童ポルノの記事が載っている。

▫️児童ポルノ摘発、小学校の非常勤講師や大企業の社員、大学で有名な準ミスターイケメンも 自然豊かな公園で開催されていた小児性愛者たちの’’パーティ’’

 

そして、犯人たちの名前と特徴、事件の概要が載っている。

①佐々木佳道 容疑者

食品会社に勤めていた30歳の妻がいる男性

②矢田部陽平 容疑者

小学校非常勤講師

③諸橋大也 容疑者

国公立大学3年生

 

 

その後のこの本の構成としては、主に3人の登場人物の話を章毎に順々にしている。

1人目は

寺井啓喜。

神奈川で刑事として働いている男性で、妻の由美と私立の小学校を不登校になった息子泰希と暮らしている。

2人目は

桐生夏月。

大型ショッピングセンターの寝具店で働いている女性で、人付き合いを疎ましく思っている。

3人目は

神戸八重子。

大学2年生で、ミスコン・ミスターコンが例年の目玉になっている学祭に風穴を開けようと、ダイバーシティフェスなるものを企画している。

 

本を読み進めていくうち、3人の社会の捉え方や性癖などが明らかになり、更に冒頭の児童ポルノ法違反の記事に出てきた面々も彼らの生活に登場していく。

1人目の寺井啓喜。

妻の由美がセックスの時に毎回涙を流すことがきっかけで、由美の涙に興奮するようになったことが分かってくる。

また、不登校の息子の泰希は、不登校児支援のNPO団体で知り合った、同い年の彰良(あきら)とYouTubeを始める。2人の動画にはリクエストがやってくる。啓喜は、息子に学校に戻って欲しく、それが学校に行かずYouTuberになりたい泰希と泰希を応援する由美の間にすれ違いが起こってくる。

 

2人目の桐生夏月。

異性や結婚には全く興味がなく、水しぶきに興奮するという性癖の持ち主。自分が異端の存在であることを強く気にしている。世間や周りの人間に対して妙に冷めた対応をするのもそのせいかもしれない。

中学の同窓会で、同じく水フェチの佐々木佳道と出会い、彼と結婚した振りをして一緒に暮らすこととなる。世間の異端から外れないために。

 

3人目は神戸八重子。

たまたま侵入した兄の部屋のパソコンに、性的な動画が流れていたことがきっかけで、異性の目や男性が苦手になる。唯一怖いと思わなかったのは、ダイバーシティフェスで知り合った諸橋大也だけだった。大也は大也で女性に興味がなく、(実は後に水フェチであることが明らかになる)それが八重子に恐怖を感じさせない原因のようだ。

 

 

 

この本の後半では、

佐々木佳道

諸橋大也

などからの視点からの話が続く。

 

 

この本は、うまいな、と思う表現が多い。

特にテーマであろうと思われる性、マイノリティに関するもの。

例えば

•啓喜は、由美の髪の毛から漂うトリートメントの匂いを嗅ぎ取りながら、大きく広げた足の付け根で血液が渦巻き始めたのを感じた。

・自分の全身が誰かの全身と触れてるうちは、この身体に染み付いている悲しみや寂しさの歴史が毛穴から溶け出てくれるような気がした。

・「異性愛者だって誰だってみんな歯ぁ食いしばって、色んな欲望を満たせない自分とどうにか折り合いつけて生きてんの!」

・「朝起きたら自分以外の人間になれていますようにって、毎晩思うんだ。性欲が罪に繋がらないならどんな人間だっていい。」

 

以下ネタバレ注意⚠️

水フェチで繋がりを求めていた桐生夏月、佐々木佳道、矢田部陽平、諸橋大也はネット上でその繋がりを作って生きていこうとする。そのうち夏月を除く3人が水を公園ではね飛ばして動画を撮影していたところ、運悪く佐々木の同僚の子どもが混じって一緒に遊ぶことになってしまう。その時に撮影した写真から、児童ポルノ法違反だと警察から疑われ、自分の性癖を言えないままで終わる、というのがこの本のオチである。

 

感想

まずこの世界には、色んな性癖を持つ人がいるんだなあということが分かった。そしてそれがマイノリティのために周りに理解されず苦しむことも。ダイバーシティなどと言いながら、結局この世は男性と女性が付き合ってセックスをするのが当たり前だと思われてること。

そうじゃないと変だと思われ社会の異端になってしまうこと。その性癖が人に危害を及ぼすものでは無いにしろ。

男性が女性に、女性が男性に性欲を抱くのは通常と思われ規制されないこと。

 

終わりがバッドエンドで考えさせられてとても良かった。結局啓喜の息子の泰希の不登校問題は解決しないし、水フェチである佐々木たち「わかって貰えない」と諦めて黙秘を貫いて恐らく起訴されること。せっかく繋がりができた夏月が1人になってしまうこと。

誰にとっても幸せな結末になっていないのだ。

 

かがみの孤城

大学2年の冬休みから春休みにかけて読んだ小説。伏線回収が上手かったし感動した。

 

f:id:mizu_rainforest:20220210214424j:image

 

主人公は、雪科第五中の中一の安西こころ。こころはいじめがきっかけで不登校になってしまう。4月のある日、いつものように学校に行けず、自分の部屋にいたこころは、部屋の姿見が光っていることに気が付く。鏡に近付くと中に吸い込まれ、気がつくと西洋風のお城の中にいて、狼の面を着けた6歳程の少女「オオカミさま」が立っていた。なんと、来年の3月30日までの間に城の中のどこかに隠されている、「願いの鍵」を見つけたらなんでも願いを叶えられるという。他にも、自分と同じようにお城に招かれた中学生が6人いた。

7人は少しずつ打ち解けていき、他の6人も実は、不登校だったことが明らかになる。6人は一緒に遊んだり、たまにケンカをしながらも、部屋の鍵を探してく……というのが大まかなあらすじ。

 

伏線回収がすごいな!と思ったのは

・まず何より「オオカミさま」は実は死んだリオンの姉で、リオンの願いを叶えるために「城」を作った

・同じ日付でも6人それぞれ曜日が違ったり、話が噛み合わなかったのは、それぞれが違う時代から来ていたから

・アキとリオンとスバル以外の4人のところに来ていたNPO不登校の子の支援教室の先生「喜多嶋先生」は実は未来のアキだった

など……

 

途中アキが母親の再婚相手の父に性的虐待を受けそうになったシーンや、こころの不登校のシーンを自分に重ねる(虐められてた訳では無いが、体の問題で私も学校に行けず、部屋でずっとぼんやりしてたことがある)など、辛い場面もあったが総じて良い本だった!

 

ヒトはなぜ自殺するのか〜死に向かう心の科学〜

第1章無の誘惑

この章では、序論、つまりどういうことを書くのかや、自殺を考えたことがあることを含め著者の今までの人生について述べられている。

 

第2章 火に囲まれたサソリ

この章では、心があり、更に自殺するのは人間だけか又は動物もかについて考察している。心に残った部分について残しておこう。

 

マルティン・ブリューネという精神神経科学者は自殺行動にVENというニューロンが何らかの役割を果たしていると考えている。

VENは大型類人猿、イルカ、ゾウなどとりわけ複雑な社会をなす動物にあるが、ヒトの脳ではそれが大きく、数も格段に多い。VENの真の役割は未だ謎だが、ヒトの適応的成功に社会的認知がいかに重要だったか分かる。

また、精神病患者の脳のうち、VENが密に存在していたのは自殺者の脳だった。

ブリューネらは『否定的事故評価、自己卑下、恥辱、罪悪感、絶望感に繋がるやり方で自省する事が精神病患者の自殺のリスクを高くするのかもしれない』と推測する。つまり、精神病だけでは自殺は引き起こせない。精神病患者が自殺するようになるためには、まず自分が精神病だと自覚し、その事を他の人に知られていると思う必要がある。

このように著者は述べている。私なりに分かりやすく言い換えると、他者の目に悩まされ、恥辱を感じることが自殺を引き起こすのだと考える。著者も述べていたが、武士は罪に問われて殺されるより切腹する方が栄誉としていたのは好例だろう。

 

最後に著者は、動物に心がないとは言えないが、自殺をするのはヒトだけだろうと結論づけている。例えば、飼い主が死に、悲しみのあまり拒食症になったイヌがいても、それは食欲の減退の結果死んでしまっただけであり、イヌは死ぬことを予見していたわけではないだろうのしている。自殺の定義には死ぬ意図があるか否かが重要であり、このような場合には自殺の定義的特徴が欠けているであろう。

 

第3章 命をかける

この章では、自殺のような明らかな自己破壊行動が、実は適応的目的のために進化した、つまり自殺行動をもたらすことがあるのは、その方が生存には有利な面があるからなのだろうか、ということについて考察している。

現在マクマスター大学で心理学の教授をしているデニス・デカタンザロは思春期の頃に兄が自殺したことをキッカケに進化や適応などの自然科学に興味を持った。彼の『自己破壊と自己保存の数学モデル』というアイデアが面白かった。

そのモデルが示唆していたのは、私たちが、自分の直接的な繁殖の(すなわち多くの子どもをもつ)見込みがなく、同時に、生き続けることが生物学的血縁者の繁殖を妨げて、彼らの遺伝的成功を脅かす時に、自殺することがある。

というものだ。著者があげた具体例だと、生活が上手くゆかずギャンブルに失敗して借金を抱え、成功している兄弟に寄生し、本来ならその兄弟の可愛い子どもたちに行くはずの資源を食いつぶす、無精髭を生やした中年男のイメージがそうであろう。デニスの論文の引用が以下である。

もしある人の現在や未来の行動がその人の遺伝子の地位を変える可能性が無いのなら、自殺を妨げる生態学的圧力もない。もし子孫を残す可能性がなく、自分自身や家族を適切に助けることが出来ず、遺伝子を共有するほかの人々の繁殖にも寄与出来ないなら、死んだとしてもその人のもつ遺伝子の頻度には影響が無い。その結果、自殺が遺伝子プールからまだ除去されていない遺伝子を除去することはない。このように、自殺が起こるように見える限らせた生態学的条件下では、自殺を妨げる淘汰圧はないだろう。・・・・・・その人が資源を消費だけして生産的でなかった場合には、それがその人の生存に反するように作用する。「生きる理由がない」場合には、生きないというどんな些細な理由も行動に影響をおよぼすようになる。

ただ、この説には難がある。例えば、自殺して残されたものたちに大きな悲しみや不幸をもたらすし、後追い自殺をする人も出てくるかもしれない。また、自殺者が出たという汚名がついてまわり、その家族は結婚相手を見つけられない可能性だってあるからだ。(勿論死ぬ事で汚名が消えることだってあるが)

 

また、進化心理学者のポール・ワトソンとポール・アンドリュースは、「無快感の持続は鬱病の特質であり、快に注意が向かないようにするための方策の反映なのかもしれない」と論じている。

鬱の感情麻痺効果は、不必要な快の出来事に注意が逸れないようにして、重要な適応問題の解決に集中出来るようにするのだという。著者曰く、鬱による精神運動抑制(セロトニン不足によって体の動きが鈍くなる)」と考え込むことの組み合わせは、その人の遺伝的利益に重大な脅威を与える切迫した難題に焦点をあてさせるために自然が採用したやり方では無いかとしている。鬱になると、一般的に基本的な認知機能が損なわれるが、もし鬱で自分のおかれた状況を正確に把握出来ているのなら、その人たちはうまくやっているのだ。

つまり、鬱は実は意味のある(健康的ですらある反応)だと言えるかもしれない。

ワトソンとアンドリュースは次のように結論している。「セラピストが効果的な話し合い療法を行える時でさえも、惨めな状態ではあっても、鬱が社会的ネットワークに対して適応的な力を発揮できるようにするのがベストかもしれない。・・・・・・そのもとにある社会的問題に対処することなく薬だけが与えられるべきではないし、また薬が鬱の潜在的な適応機能―抑鬱的反芻を弱めるものであってはならない」

著者はデニスと反対の意見を述べる学者の意見を述べ、最後にこう結論している。自殺が進化的適応だとは言いきれないが、否定もできない。

 

第4章 自殺する心に入り込む

この章では、著者の敬愛する社会心理学者のロイ・バウマイスターの逃避説を説明している。自殺する人間は自殺に至る6つのステップを順に移動していき、その移動ごとに危険度も増していく。ただ、これらのステップを踏んでもそこから抜け出すことは可能だという。

 

段階1期待値に届かないこと

自殺者の大部分は平均以上の生活をしているという。それまで平穏無事で快適な状態にあって、突然生活水準が大きく落ち込んでしまうと、それがその人を危険な方向に向かわせることがあるとロイは警告している。

貧乏なだけでは自殺のリスク要因にはならないが、富裕から貧困への転落はリスク要因となる。また、生涯独身であることはリスク要因とはならないが、結婚した状態から突然独身となると大きなリスク要因となると言う。

段階2 自己への帰属

自殺する人間は、自分自身を嫌悪するが、他方でほかの人々はみな良いのに自分だけが悪いという誤った印象を持ちそのことに苛まされる。鬱状態になると、社会的拒絶のにサインに過敏になり、まわりの人間がどの程度私たちの欠点に注目しているかを過度に気にし始める。自己はまったく魅力にかけ、どうしようもなく芯まで腐っているように思える。

そして、ふつうの善良な人々から自分が完全に切り離されているという感覚を持つ。我々は誰かが自殺をしてその真実を知ると、何故信頼できる人に打ち明けなかったのかと問わずにはいられない。しかし、心を開くことはその人にとっては恐ろしいことであり、打ち明けるよりも自殺する方が相対的に苦しみの少ない選択肢として感じられたのである。

段階3 自意識の高まり

ロイの説の核心は、自殺の動機が不快で鋭利な自意識から逃れたいという欲求だということにある。自己破壊の思考回路にはまり込むと、自己中心的になり、他の人がありえないほど遠くにいるように感じられる。これは所謂ナルシストとは異なり、自分の欠点への不必要な執着である。すなわち、個人的基準に対して自分を絶えず、厳しく比較する結果として、自分がいかに卑劣で可愛げがなく、無用な人間であるかを常に考え、自分を意識することに耐えられないような苦痛をもたらす。

また、自殺をした人の遺書やSNSに投稿された文章を見てみると、偽物の遺書(自殺するとしたらという仮定の下、自殺傾向のない人に書かせた遺書)と比べ、本物の遺書には一人称単数が頻出する傾向があるという。

段階4 否定的感情

ロイの説では、自殺には意識の喪失という魅力があり、自殺はいま経験しつつある「否定的感情」という苦痛を終わらせることにある。心の平和を見いだせないなら、心の不在の平和のほうを求めてしまうのだ。本当は死ぬ気のない、助けを求めたり注意を引くための自傷行為や自殺未遂でも、これは当てはまりそうだ。自殺未遂により、少しの間昏睡状態に陥って病院で面倒を見てもらったとしたら助けが得られるだけでなしに1種の逃避を得られるからである。

段階5 認知的解体

認知的解体とは読んで字のごとく、認知的にとのごとがバラバラになって、低次の基本的な要素になってしまう。このプロセスの一部として、自殺する人間は、時間が這うように感じられる。現在がエンドレスで、なんとなく不快に感じられ、時計を見る度に「これだけしかまだ経ってないの」と驚かされると言う。ロイは、この現在にしか心が向かないというこの時間的狭窄は、実際は防衛機制であり、過去の失敗に留まり続けるのをやめさせ、耐え難く望みなき未来に思い悩ませないようにする為と考えている。このように思考が解体されて意味の無い瞬間に占められることによって、前の段階からの否定的感情はある程度和らげられる。これは、なぜ自殺の多くが、感情を爆発させた後に起こるのではなく、自分でも驚くような平坦な感情状態の後に起こるのかを説明している。

自殺する人間の認知的解体のもうひとつの側面は、具体的思考の劇的増加である。この具体性は遺書の中に現れる。いくつかの研究によると、遺書の内容は「息子には良い奴になれと伝えてくれ」のような内省的思考を欠いているのに対し、「猫に餌をあげてください」といった日常的な指示が多くなる。

自殺の想念をもつ多くの人は、自殺を図る直前の数週間、没入することを目的として、退屈なルーティンの勉強や作業や仕事に浸り、ロイのいう「感情死」の状態に入る。また、自殺を段取るという暗く単調な作業もありがたい一時的な救済になりうる。この時には遺書の中に肯定的な感情も綴られることがある。ロイ曰く、「自殺の準備をしている間は、もう未来について思い悩まなくてすむ。というのも、もう未来はないと決断してしまっている。過去もそれにより精算され、悲しみや不安を引き起こすことは無くなる。このために臨床心理士でさえ、圧倒的多数が自殺の前に危険を察知できなかったという。実際、彼らに自殺の数週間前の患者の様子について思い返すように言われると、自殺のリスクはかなり低いと思ったと報告されている。

段階6 抑制解除

ロイのモデルでは、段階が進むにつれて、その人は通常の体験から遥かに逸脱した変性意識状態になる。ロチェスター大学の精神科医、キンバリー・ヴァン・オーデンらの研究では、行動の抑制解除の構成要素を明らかにしている。自殺しようとしてる人間は、自殺願望に加えて「自殺のための能力を獲得する必要」がある。この能力は、死に対する恐怖の低減と身体的苦痛への耐性の増加を含んでいる。それは恐怖や痛みに対する体制を生み出す状況に晒されることで獲得される。これこそがら自殺を最も的確に予測する指標のひとつがそれ以前の自殺未遂である理由だ。それはプールの飛び込み台からジャンプするのは一回目が一番怖いのと似ている。

また、恐怖をもたらすほかの身体的苦痛の体験も自殺のリスク要因になる。身体的・性的虐待、戦場体験、DVなども間接的にその人を自殺の身体的苦痛に対して「準備」させる。これこそが、自傷行為が懸念すべきものなのかという理由である。加えて、衝動性、大胆さ、痛みへの耐性といった遺伝的差異もなぜ自殺傾向が同じ家系に見られるのかを説明する。そして自殺行動をしやすくするのは、それ以前の痛み刺激への暴露だけではない。データはその最終段階にある人々が通常の時よりも社会的に受け身で従順であり、これが痛みに身を委ねるのに役割をはたすことを示している。

 

自殺の予防としては、ロイは「このようなプロセスを知り、今の考えが良いかどうかを判断した方がいい。そうすればそれが少なくとも一時的な状態だと気がつける。自分にこう言うといい。『来月も同じように感じてるなら、その時は自殺を考えよう』と。」

 

第5章 ヴィクがロレインに書いたこと

この章では、実際に自殺した高校生の女の子ヴィクトリア(ヴィク)の日記を4章での逃避説のどの段階ごとに追って紹介している。

ロレインというのはヴィクが日記を宛てて書いている架空の人物である

段階1 期待値に届かないこと

ヴィクは裕福な中産階級の家庭で不自由なく育った一人っ子だった。日記にはこうした見かけの状況と自分の感じ方のギャップについても考えていた。「自分の部屋があり、名門校にも通い、私にはこんなに沢山のチャンスがある。幸せなはず。なのにどうしてこんなにわがままなのか。これからの人生が待っているのに、試験の成績に対する不安というくだらない問題にかかずらっている。でもどうしてこのまま生きてゆかなくてはならないのだろう?」

段階2 自己への帰属

日記を通してヴィクは理想化された他者、特にクラスメートと自分を頻繁に比較している。ヴィクはほかの人々のことを悪くいうことは殆どなかったが、自分に対しては執拗に軽蔑し自分の欠点が克服できないという確信を持ち続けた。

段階3 自意識の高まり

ヴィクは自殺へと至るプロセスの一部として、近くのものしか見えない状態、自分の不安の原因から内なる目をそらすことが出来ないという状態にあった。彼女から見るとほかの人々は、「自分の闇とは無関係」のように振る舞い、しかも自分の持つ問題から気を逸らしているように見えた。彼女は、自分の思考からできるだけ距離を取るという心理的戦術の機能と効用をよく知っていた。何もかも残したまま、自分の問題から文字どおりエスケープする旅を夢想した。

段階4 否定的感情

ヴィクは深刻な心理的苦痛の状態にあったが、その苦しみを親友グレイス以外に打ち明けることは無かった。「鎮静作用のある憂鬱」が支配し、明るい未来を考える能力が自分の否定的感情によって損なわれていることに気づいていた。

段階5 認知的解体

自殺の予感が強まるにつれ、ヴィクは倦怠感―情熱が鈍麻し、計画的でなくなり、時間がゆっくりすぎる息苦しいグレーゾーン―に陥った。彼女は自分の思考プロセスのこの変化を「急激ではないが、着実に時分を蝕んでゆく対処メカニズムのようなもの」「空腹でもないし、満腹でもない。何かをしたいわけでも、退屈でもない」と述べている。しかし気持ちを切り替えることは出来なかった。のしかかってくる宿題の重圧が彼女を動けなくしていた。何をしなければならないかは分かっていたが、それは感情に繋がらなかった。さらに困ったことに、未来を予測する能力が損なわれていることに彼女は気付いた。「今は未来が自分の体さえみえない薄暗い場所のように感じられる。・・・行く手にはなにもない。」ヴィクの書くものを読むかぎりでは、逃避の勝道はまだ強かったが、心のなかで逃げてみることが急速に出来なくなった。代わりに彼女は、思考が熱を帯び沸騰するのを許すようになる。自分の死の詳細を考えることに熱中し始めたのだ。明日がないことになぐさめを見出して、ヴィクの気持ちは安定し、不安も和らいだ。しかしこれは危険な兆候だった。ヴィクは日記では、自分の死がほかの人々にもたらす苦しみのことを思って自殺する事にためらいを見せていた。しかし次第にら無感動の状態が計画の遂行を阻んでいたこの感情を覆い隠すようになる。「愛してくれている人たちに対して自殺という最悪なことをする。驚くことにそれでいいと思っている。」「驚くことに」という表現からわかるように、彼女はそのような感情が自分らしくないことに気がついていた。彼女は自分が制御不能なプロセスに捕まってしまい、悲劇が展開してゆくのをただ、見ているしかないということが分かっていた。

段階6 抑制解除

3月半ばごろ、ヴィクの思考ははっきり死にむくようになった。ヴィクの書くものには、シュナイドマンの言う赤信号のことば「だけしかない」が増えている。生きるか死ぬか、彼女には2つの選択肢しか見えなくなった。抑制解除のプロセスが進行中だった。「本当に怖い。でもしなければ。・・・怖いのはそれが上手く行かないこと。どうか、うまく行きますように。そのことが頭から離れない。」ヴィクの思考は完全に自殺に飲み込まれてしまっていた。ヴィクは自分の死が愛する人たちに与える精神的ショックのことを考え続けていたが、日記の終盤では永遠に逃避したいという願望がそれを圧倒し、自殺してしまう。

 

6章 生きる苦しみを終わらせる

この章では、メディアを介しての自殺の伝染について考察している。

ティーヴン・スタックによると、自殺の伝染は芸能界のスターの自殺報道の後に起こることが多い。ニュース報道の程度(その自殺を伝えた報道機関の数で測定される)と模倣自殺の間には正の相関があるという。第1面の自殺記事や自殺の頻繁なニュース報道にはあきらかに問題があるのだ。

また、自殺におけるインターネットの役割が顕在化した。そのひとつはネット心中であり、2005年に入間市で互いに面識のない3人の若者が自殺サイトで出会い、練炭を燃やして自殺した。日本のメディアはこの方法をネット心中として報道し、事件報道から数ヶ月の間にネットを介した集団による練炭自殺が多発した。

いっぽうで、ネットを介して自分と似た状況の人と繋がって心の安らぎを得る場合もある。これがどのくらい自殺を抑止しているかは測る術がないが、助かっている人もいるだろう。

 

第7章 死なないもの

この章では、自殺と人々の死や未来への認知、さらに宗教について述べている。

宗教と自殺の関係は込み入っていて、死後の世界に対する信念が自殺という意思決定に影響する証拠も、そうでない証拠もある。ただ、どの研究でも宗教を信じている人はそうでない人より自殺することも、自殺について考えることも有意に少ないという。

興味深いことに、人間は生まれつき死後の世界を信じているという。これは先を予知する能力の錯覚である。著者が行った実験では、人形のワニとネズミを使い、ネズミがワニに食べられるという場面を年少児と年長児にそれぞれみせた。年少児は年長児に比べ、ネズミが死んだ後も心理的な能力を持っていると答えることが多かったという。もし死後の世界の信念が単に文化の産物や教わったことであるなら、これとは逆の結果になったはずである。実際、年長児になるほど、霊的なことや宗教的な教えに触れる機会が多くなる。以上のことは、死後も意識は残るという信念が人間の「デフォルトの姿勢」だということを示している。

自殺は心のシステムの欠陥なのかもしれない。1990年代半ば、進化生物学者のダニエル•ポヴィネリとジョン•キャントは、自己意識の起源に関して「樹上移動仮説」と呼ばれる独創的な説を提案した。アウストラロピテクスが出てくる以前、その祖先となる種にオレオピテクスという大型の類人猿がいた。(現在の小学5年ほどの大きさ)オレオピテクスはオランウータンのように樹冠付近にいて枝から枝へゆっくり這って移動していたと考えられている。大型のオレオピテクスは、枝を掴み損ねて落ちるとほぼ確実に命取りになったため、次の動きを賢明に選択しなければならなかった。ポヴィネリとキャントは、折れやすい枝に巨体を置くというこの問題が、のちに人間の想像力の大火を引き起こすことになったきっかけの火花だったと推測している。心の中でありえる未来の環境に自身を投影することによって、オレオピテクスは頭の中で体の動きをシュミレーションしてうまく動くことができたのだろう。

しかしいったん自身を未来に投影できるようになると、可能性をあれこれ考え、もしあの時こうだったらということまで考えて動けなくなってしまったのだ。想像力は諸刃の剣となったのだ。

 

 

あなたは将来何がやりたいの??

博物館の先生に言われた。

「この業界くるなら相当の覚悟必要。あと、地質と骨の知識がない学生は取らないから。」

何となくそう言われるという想像はしていたが、やはりきついものがあった。

 

ほんとに化石についてやりたいのか思い悩んだ。

先生に以前、本気でやりたいなら地学科のある理学部に編入すべきと言われた。でも、私は編入を諦めた。病気のこと、学校の課題と並行して編入の勉強をするのはきついこと、自分の学力や体力や精神力を鑑みて成功する可能性は低いこと、そこまでやる勇気がないこと、なんやかんや今の大学に1年もいたら愛着が湧いてしまったこと、色んな理由がある。

そもそも、私の興味は「生き物進化や形態の変遷」なので別に古生物に拘る必要はなく、現生の生き物でも構わない。

また、この業界に骨を埋める覚悟あるのかは正直分からない。古生物の研究者になってやる!みたいな思いもそんなに無い。なれたらいいなあくらいの気持ちである。

私のTwitterのフォロー層が博物館や大学の先生だったり、大学院生だったりする所為もあるが、やはりそういう人々を見ていて自分の学力の足りなさや熱意の弱さを感じることはある。

その意味では、自分の学問に対する本気度は低いのかもしれない。

 

親友にこのことを話した。

間違いや課題点などをハッキリ言う人なので話すには適任だと思った。驚いたことに

「自分から教授とか偉い人に連絡とったり、独学や輪読ってなかなかできることじゃないと思う。俺だってやりたいって言いながらも、実はどうでもよくてやってないことなんていっぱいある。自分から動いてるってことは本気なんじゃないかな」「お前見直したよ。ほんとにその分野が好きなんだな。もうアイデンティティじゃん。できる限り応援したい」と言ってくれた。

 

アイデンティティ

 

そうなのかもしれない。

 

私はその他に、将来やりたいことや目標や大事なものは特にない。特段結婚・恋愛願望もない。お金は勿論あった方がいいが、生活できるレベルで充分だ。他にやりたい仕事がある訳でもないし、欲しいものもない。やりたいこともない。

このまま諦めて今の大学卒業して就職しても、多分自分にあまり合う気がしないし、心が死んでくだけのような気がする。

 

生きたい理由がない、と言えばメンヘラになってしまうが実際そのような感じである。

希死念慮が酷いだけかもしれないのは否めないが、このまま大学出て、趣味も職業もとりわけやりたいことないのに働いて、死んでいくんだろうな、と思うと絶望的な気持ちになる。そうなるくらいならさっさと死にたいと思う。

 

裏を返せば、今唯一自分が前向きにやりたいと思えるのはこの分野しかないのだ。それがアイデンティティになっているのは脆いかもしれないけど、でも今諦めたら絶対後悔する気がする。それこそ一生逃げた自分を呪い続けると思う。

 

 

親友に言われた。「今の日本だったら生活の心配そこまでないから。特に一人暮らしなら。時給900円で週40時間働いたら月14万稼げる。なんとかなる。それに大抵何とかなるから。」

それもそうだなあ。

 

諦めるつもりはない。余計そう思った。ただ、やっていけるか、挫折した時どうなるか怖い。

 

 

 

 

美味しい進化 食べ物と人類はどう進化してきたか

大学図書館の、教員お薦め本に置いてあったのがこの本当の出会いです。因みに教員お薦め本ですが、この本をお薦めしてる先生はK学部の方でした。理学部じゃないの…。理学部教員お勧め本はイマイチしっくり来なかったです。転学部した方が良かったかな?(嘘)

とにかくそれくらいにハマった本なので、春休み挟んでいたとはいえ2ヶ月以上借りてました。そろそろ怒られそう。

 

 

この本は、題名の通り食べ物の観点から進化について述べている本。最初の導入の章と最後のまとめの章以外は、食べ物の名前が章になっていた。「肉」「チーズ」 「パン」「野菜」「スープ」「デザート」など。

今回は「パン」「肉」「チーズ」「デザート」の章から、気になった部分を抜粋・まとめた。まずパンの章(コムギ)から

 

コムギ

農業のおこり

農業は「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる中東地域で始まったと言われている。

そこには今も、野生のヒトツブコムギ(最古の栽培化されたコムギ)が食べるのには困らないほど多く生えている。

そこで、植物学者のジャック・ハーランが古代に使われていた刃の複製品で1時間野生のヒトツブコムギを穫ったところ、その半分は穂が落ちてしまったが手元に残ったものだけでも大量に収穫できた。ハーランの計算によると、ある一家が野生のヒトツブコムギを収穫すると、3週間で1年分の穀物を集められるという。

 

ここでひとつの疑問が浮かぶ。そんなに大量に収穫できるなら、なぜ栽培する必要があったのだろうか?農業はなぜ起こったのだろうか?

実際遺跡からは栽培化されたコムギの穀粒が発見されているのだ。

 

この答えとして、暫くは野生のコムギで生活できていたが、やはり人口が増えると体系的な栽培化が必要になったと考えられる。

また、最古の野生のヒトツブコムギの穀粒が遺跡で発見されてから、栽培化されたコムギの穀粒が見つかるまでは何千年か空白がある。

これは裏を返せば、差し迫って栽培化を行う必要が出てくるまで何千年もかかったとも言える。

因みに、野生種と違い栽培化された作物は

・落ちにくい穂

・粒が大きい

・種子の休眠性の増大

などの特徴がある。

栽培化のサインは穂にギザギザの切れ目があることである。(落ちにくい穂がふえた )

この特徴から、遺跡で発見された穀粒は野生のコムギか栽培化されたコムギかどうかを判断する。

 

※ジャック・ハーランについては以下。

https://jcmswordp.wordpress.com/2018/01/14/%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%80%81%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%

 

進化を逆戻りしたライ麦

ライ麦は1960年代まで広く栽培されていたが、その後需要が減り、ほかの畑に雑草として生え始めた。

⇒これは実は進化を逆戻りして野生化していたのだ。

ヒトが栽培管理している時は、ヒトは刈り取った際に種子が落ちにくいものを選択していたのでそんなことはおこらなかった。しかし、ヒトがライ麦を放置し始めると、そのうち種子が落ちる遺伝子を持ったものが出来た。それは雑草が広がるのに有利なのでライ麦の遺伝子に行き渡ったのだ。

 

α‬アミラーゼ

アミラーゼはデンプンを消化する酵素である。

高デンプン食を食べる集団(日本人やヨーロッパ系アメリカ人)などは低でんぷん食のグループより‪α‬アミラーゼ遺伝子の数が多い。

また狼から家畜化された犬もデンプンの消化に影響する3個の遺伝子が変化していた 変化のひとつとして、アミラーゼ酵素を供給する遺伝子のコピー数が増えている。

これはヒトと暮らすうちに、ヒトからのおこぼれを効率よく摂取するために生まれた変化だと考えられている。

 

匂いについて

嗅覚需要細胞は鼻腔内の小さな一部分の粘膜に分布しており、ふたつの方向から入ってくる匂いに晒される。

・オルソネイザル(前鼻腔)経路

息を吸ったりなにかの匂いを嗅ぐときに使う

・レトロネイザル(後鼻腔)経路

鼻道と喉の奥を繋ぐ通路。食べ物を食べる時に出る揮発性化合物を感知。いわゆる風味。

である。

また、人の嗅覚受容体遺伝子はたった400個(象は2000)だが、脳内で反応した受容体の組み合わせや感知した分子の量により1兆以上の匂いを感知できるという。

おお!何だか4種の塩基から多様なタンパク質が生まれているのと似ているなあ。

 

サナダムシと肉食の関係

人に感染するサナダムシは3種類ある。

・牛から感染する無鉤条虫

・ブタから感染するアジア条虫と有鉤条虫。

 

私たちは、幼虫を含む肉を食べることでサナダムシに感染する。

(以下、東京都のサナダムシの食品衛生に関するページ)

無鉤条虫|「食品衛生の窓」東京都福祉保健局

有鉤条虫|「食品衛生の窓」東京都福祉保健局

よって元々は、農業が始まった1万年ほど前にサナダムシの感染が始まったと考えられた。

しかし、実は数百万年にわたっていたのだ。

 

無鉤条虫とアジア条虫は、アフリカでライオンとレイヨウ間を行き来して感染しているサナダムシの1種と共通祖先を持つ。

また、有鉤条虫はハイエナの体内で見つかるサナダムシと、同じ祖先を持つ。

このことより、私たちの祖先は、ライオンやハイエナの獲物を横取りしたものだった可能性があるのだ。なので私たちがブタやウシを家畜化した時、彼らがサナダムシに感染していたのではなく、私たちが彼らに感染させたようだ。

また、驚くべきことに有鉤条虫は料理に対する耐性を進化させてきたようである。熱ショックタンパク質を作るタンパク質が多い。

 

家畜化症候群

ダーウィンの指摘によると、野生動物と比べて家畜は

・繁殖のパターンが季節と関係ない

・全身のあちこちで毛色が欠けてぶち模様になっている場合が多い

・垂れ耳で鼻面が短く、歯が小さく、脳が小さく、尾がまきあがっている

・行動が幼く従順である

という特徴があるという。

イヌ、ブタ、ウサギやテンジクネズミといったあらゆる種類の全く無関係な家畜でもこのような一連の形質を持つ。

f:id:mizu_rainforest:20210613145902j:image 

従って、これら全ての形質を結びつけるような共通の遺伝的要因が潜んでいて、従順さなどの人為的選択が被毛の色の形質など全てに影響を及ぼすのか? と思われていた。

そこで1950年代、ドミトリー・ベリャーエフという育種家によるギンギツネの実験が行われた。

ギンギツネを飼育したところ、一代目は実験者が餌をやる度に殆どの狐が恐怖や攻撃性をしめした。その中から恐怖や攻撃性の表れが少なかったキツネを使って交配を繰り返した。50年後、30世代以上が経った頃にはグループ全体がイヌのように人間に懐き、家畜化症候群の解剖学的性質と生理学的性質を示した。

つまり、従順な行動を求めて選択すると、家畜化症候群が生じるのだ。

 

最古のデザート〜ハチミツ〜

オランウータンとチンパンジーは、蜂の巣を枝で探って蜂蜜とハチの幼虫を食べている。類縁の大型類人猿が食べているので、蜂蜜はヒトとチンパンジーなどの祖先が別れる前から、蜂蜜はヒト族の食事の一部だったと考えられている。

蜂蜜を食べる習慣があったことを示す直接的な証拠は、旧石器時代の壁画の大型動物の群れが走る絵と共に描かれたミツバチ・ハチの巣そして蜂蜜採集用のはしごの絵である。 また、現代の狩猟採集民の食事をみると、この生活形態にとって蜂蜜が重要であることが分かる。

 

タンザニアのハッツア族は、食事のカロリーの15%を蜂蜜から摂っている。ハッツア族を含めたアフリカの狩猟採集民は、ミツバチの巣を見つける際、ミツオシエという鳥との共生関係に助けられている。

(以下、ナショナルジオグラフィックのニュースとその画像)

f:id:mizu_rainforest:20210613150626j:image

野鳥と人が蜂蜜めぐり「共生」、科学的に解明 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 

ミツオシエの餌は昆虫で、ハチの幼虫やミツロウを食べる。ミツオシエは自分でミツバチの巣の内部には入れないが、人間の力を借りる。ハッツア族の野営地に飛び、特徴的な鳴き声を発すると、人々は「ついてこい」という合図だとわかる。そして人々はミツバチの巣を見つけると、燃え木を使い、煙でハチを大人しくさせて斧で巣を木の幹からくり抜く。 更にハッツア族は、自分から合図の声を出してミツオシエを呼ぶこともある。

ミツオシエについて行くことで、ハッツア族のハンターは、そうでない時の5分の1未満の時間でハチの巣を見つけることができ、その上ミツオシエの見つける巣は、ハンターが見つけるより立派なものである。

ミツオシエと人間の関係はいつからあるかは定かではないが、ホモ・サピエンスより、古い可能性も十分にあるのだ。

 

チーズ

チーズはマイクロバイオーム

チーズのマイクロバイオーム(チーズは、何十種もの最近や真菌から作られた微小な生態系だ、という意味ではここでは「マイクロバイオーム」という)を調べると、新種が見つかったり、起源が奇妙な微生物が見つかることがある。

例えば、多くのウォッシュチーズの皮の中には、海洋環境の細菌が棲んでいるのが見つかっている。この細菌はチーズを加工する際に使われた塩の中に潜んでいて、海から乳製品に飛び込んできたのかもしれない。

また、モッツァレラチーズとヨーグルトを作るのに使われているのが、ストレプトコックス・テルモフィルスという乳酸菌である。この無害な細菌の祖先は病原菌で、レンサ球菌性咽頭炎や肺炎を起こす菌と共通祖先から進化した。乳の中に棲む為の適応プロセスで、無毒化されたようだ。

また、ソフトチーズに生えるカビのペニキリウム・カメンベルティは他のどこにでも見つかったことの無い新種である。

これと対照的に、ロックフォールチーズの青い静脈模様を作るペニキリウム・ロケフォルティは、サイレージ、ブリオッシュ、とろ火で煮込んだ果物、材木、いちごのソルベの中、冷蔵庫の内壁の表面など至る所で発見されている。

このように、チーズには多種多様な細菌が住んでいるのだ。

穴あきチーズ!?

ネズミ=チーズが好き、というイメージを抱く人は多いかと思う。だが実際、チーズをネズミに与えても好んで食べない。

実はネズミがチーズ好きというイメージは「トムとジェリー」から来たものらしい。

また、このアニメの中には穴あきチーズが出てくる。チーズと言われたら穴の空いたチーズを想像する人も多いだろう。

f:id:mizu_rainforest:20210613151739j:image

このチーズ、実在していてエメンタールチーズと言う。また、この「穴」は「チーズアイ」と呼ばれている。

では、どのようにしてチーズアイは出来るのだろうか?以前はチーズを作る際に出てくる炭酸ガスによる気泡だと思われていた。

しかし実は、牛乳を絞る際に混入する干草の微粒子によるものだという。最近は衛生管理が向上し、穴が昔ほど見られなくなったため、わざと干草の粒子を混入する業者も現れるかもしれない。衛生管理を向上させたところ、トレードマークの穴が出現しなくなってしまったとは皮肉な話だ……。

 

続・ジオパーク紀行1

新しく始めたバイトの交通費支給が300円なのに対して、今の仮住まいの家からバ先までの交通費が往復1400近くかかることと、

青春18切符が2回余っていたので、

思い立って1泊2日の旅行に行って旅行帰りにバイトに行くことにした。

 

今回はそのお話。

 

せっかく泊まるなら、

・遠くにある行ったことがないところ

・桜の時期なので桜が綺麗なところ

・ジオいところ

ということで山陰海岸に行くことにした。

書きかけのブログにあるように、半年前は山陰海岸ジオパーク兵庫県の一部にだけ行った。なので今回は、鳥取砂丘に行こうと思い立った。

 

一日目は鳥取、二日目に城崎温泉に行くと決めるまで長い時間はかからなかった。

城崎温泉に行こうと思ったのは、半月前城崎温泉まで写真撮りに行った部活の同期が

「空いててお風呂が貸切状態」

「桜の時期ならよかったかも」

と言ってたのを思い出したからだ。

 

鳥取砂丘やら温泉やら有名どころは行くとして、他に何があるのか分からないし、ひとつの場所に何時間くらい滞在すれば観光できるのかも考えるのが大変だったので、砂丘までの電車とバスだけ調べ、

(早く起きれたら行ってやろう、行き当たりばったりでも何とかなるだろ)と心に決め寝た。

 

次の日。ちゃんと起きれたのでホテルの予約をした。目的のひとつが桜を撮ることだったので、桜がある場所に近いホテルを探した。当日予約ということもあり、選べるホテルも少なかった。結局鳥取シティホテルという所にした。目の前の川に桜が植わっているらしい。部屋は喫煙室1つしか空いていなかったが、まあ、一晩だけだしいいや、とここで決めた。

 

そのまますぐに家を出て電車を乗り継ぎ、上郡駅へ。青春18切符の対象外だが、存在が気になっていたので智頭急行に乗り鳥取に。始点から終点まで大人1200円。それなりに高いけど、山陽から山陰へ山の中突っ切る電車だし建設もラクではなかったろう、それにこういう地方路線には消えて欲しくないと思ったら妥当だろうか。何気にご当地ピンズも買ってしまった。快く送り出してくれた父へのお土産である。f:id:mizu_rainforest:20210501030817j:image
f:id:mizu_rainforest:20210501031258j:image

上郡から鳥取まで約2時間。特段面白い景色がある訳でもないが、古そうな家やお墓も見えたりして、何やかんや昔からこんな奥にも人はいるんだなあ、とぼんやり考えていた。

途中、恋山形駅という駅が。駅名から恋愛成就と結びつけたらしい、駅舎全体がピンク色で可愛らしい駅だった。恋人がいる人は、行ったら楽しいと思う。

 

そうこうしているうちに鳥取駅へ。驚いたのは、鳥取駅は多分鳥取で1番大きい駅だとは思うのだが、自動改札がなく、駅員さんに切符を見せる方式だった。(勿論交通系ICカードは使えない)

また、駅前を軽く散策したが、駅前でもお店は少ない印象。駅北側には駅を中心に放射状に近い形で幾つか商店街があったが空いてるお店は少なく、あまり賑わってる様子はなかった。

20分ほど散策してからバスに乗り、今回1番の目的鳥取砂丘に向かう。20分ほどで砂丘に着いた。(続く)

 

 

私の嫁 〜嫁の手料理〜

 

私には中高時代からの親友がいる。名前を「嫁」という。

勿論嫁というのは本名では無いが、私は親しみと尊敬、憧憬の念を込めて彼女のことを嫁と読んでいる。

 

嫁との馴れ初めを書くと長くなってしまうので、また次の機会に書こう。

今回書きたいのは、嫁と遊んだ話である。嬉し過ぎて記憶に留めて置きたいので、ここに記しておく。

 

2021.2.24

この日、私の前々からの『海辺で夕日の写真撮りたい』という希望で、某浜辺とその近くにあるショッピングセンターに行った。

 

電車に揺られること1時間半、某駅に降り立ち、その浜辺まで歩く。

海辺ということもあるのだろうが、風が強く寒い日だった。

浜辺をうろつき、積もる話をし、1時間ほど経ったあとご飯を食べることになった。

 

嫁『前回のリベンジ(※1)をしたくて、』

 

f:id:mizu_rainforest:20210225063429j:image

カバンから出てくる、

やかん、マッチ、カップスープ、お茶パック、きのこの形をしたロウソク、天然水、シングルバーナー……

 

小さいカバンに入っていたとは思えないほどの、いろんな物が出てくる。

 

嫁「どうしてもリベンジをしたくて持ってきてしまった。家で昨日ちゃんと火がつくか試してきたので多分大丈夫!!」

 

やかんに水を入れ、強い風から火を守る事30分。

無事にお湯が沸いた!!そして沸く会場。夏のリベンジを果たせた。冷たい風の中で食べるレトルトリゾットは美味しかった😋

 

ご飯食べた後、近くのショッピングセンターをうろうろ。

嫁とお揃いのブラウスとスカートを買った…!!嬉しい😃

友達と服買うの初めてだし、しかも誰かとペアルック的なことをしたのも初めてなのでとても楽しい思い出となった。

f:id:mizu_rainforest:20210226084618j:image

 

そして海辺で写真撮りまくった。嫁が可愛すぎて写真が捗った。もはや恋人的な写真ばかり撮って。私はもうデレデレしていた。

f:id:mizu_rainforest:20210226084856j:image

 

そして日も沈み。嫁のお家で夕食をいただくことになった。嫁のお家に行くのも初めてだし、嫁のご家族に会うのも初めてだし、嫁のご家族に紹介してもらえるということはもう結婚も近いのかも知れない!!

 

そしてここで、衝撃を覚えた。

嫁のお母様のお料理がめちゃくちゃ美味しい。普段自分が、手抜きの自炊しかしてないせいもあるだろうが、クオリティ高すぎる。

 

メニュー

・ハムとキュウリの酢物

・卵と椎茸の中華スープ

牡蠣と春雨入りの春巻き

・付け合せのレタスとトマト

・エビチリ

・おこわ

嫁のお手製の牛乳プリンとチーズケーキ

 

中華なぞ、家で作るどころか親が作ってくださった経験もないので、感激した。しかも全てめちゃくちゃ美味しい。

そして1番驚いたのは春巻き。私の親は揚げ物作らないし、牡蠣も買わない。なのでとても驚いた。

それに実は、私は貝類はあまり好きではない…。ここ数年で多少食べられるようにはなったものの、貝類は嫌いなもののひとつだった。牡蠣も勿論嫌いだったし、貝類を食べられるようになってきた後も、食べる機会が殆どない且わざわざ食べたくない、という理由で食べなかった。

このような背景があったのだが、人の家に招かれてる身だし、流石に食べない訳にも行かないので春巻きを食べた。

 

……

…………

美味しい!

 

えっ、牡蠣めちゃくちゃ美味しくないですか!?

ここに来て苦手な食べ物がひとつ減った。春巻き美味しすぎるし、苦手な食べ物が減ったし、嫁のお母様には感謝しかない。

ありがとうございました!

 

そしてデザート。

なんと嫁、私が来るからと言って、2種類もデザートを用意してくれたらしい。

かわいい女の子が自分のためにデザートを作ってくれる経験なんて、めちゃくちゃ貴重じゃないですか!?? 

 

これまた美味しいんですよ。牛乳プリンなんか家で作った事ないし。いい感じにトロトロ柔らかくて。作るの難しいんだろうな。

チーズケーキ。ケーキなんか私作ったのは何年も前ですわよ?? しかも私が作るより美味しそう!

あー…かわいい女の子が私のために美味しいデザート作ってくれたという事実だけで私あと10年ほど生きていける気がします…よめぴすき…

 

嫁がいつ下宿先に来てもいいように私も料理頑張ろう!

 

 

 

 

(※1 半年前に、彼女の自作アルコールランプでお湯を沸かし、レトルトカレーを食べようとしたのだが、上手いことお湯が湧かなかったのだ)