みずの備忘録

どこかの国公立大の理学部生。ジオがすき。いきものも好き。

とてつもない失敗の世界史

たまたま、学校図書館の新着図書コーナーに置いてあった本で、題名の面白さから手に取ってしまった。

心理学、歴史学、人類学、科学、考古学など様々な知見から人類の失敗の歴史やその理由などを述べている。

一章ごとに紹介しようと思う。

 

第1章 人類の脳はあんぽんたんにできている

 

私たちの独特の思考は

月に人を送ることが出来るほど賢いくせに、どうして別れた元カノにあんなメッセージを送ることが出来るのだろうか。

その答えは私たちの脳の進化のしかたにある。

 

進化において肝心なことは死の危険をかいくぐり、確実に遺伝子を次世代へ繋げることである。その遺伝子が後に子孫を絶滅させてしまうものであったとしても今この時に都合が良ければ選ばれていく。

つまり、その場しのぎの間に合わせや近道を緩くつなぎあわせて出来たものが私たちの脳である。

専門用語を用いると、このような脳の近道は「ヒューリスティクス」という。これは生き延びるのに必要不可欠なもので、ある程度正しい答えを近道で導き出す思考回路である。

近道とは、例えば、友達が「紫の実を食べてお腹を下した」と言ったら、自分で食べて確かめるより、それを信じる方が良いだろう。

 

計算科学でも用いる用語らしいが心理学的用語でここでは用いている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2592%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B9

 

しかし、ここで問題がある。脳の近道(=パターンを見出す能力)は便利で役立つことと同じくらい間違った道にも通じている。

脳はパターンを見つけるのに夢中になりすぎて、パターンのない所にまで見出してしまう。

 

例えば、夜空の星を見て、「あれはラマを追いかける狐だ」などなら良い。ただ、見出した想像上のパターンが「大方の犯罪はあの民族のしわざだ」となってくるとゆゆしき問題となる。

このような誤判断でパターンを見出す現象は心理学用語で「錯誤相関」「クラスター錯覚」などと呼ばれている。

 

また、主な近道は2つあり、最初に示された事柄に大きく印象付けられてしまう「アンカリング・ヒューリスティク」と取り出しやすい記憶情報を優先的に頼って判断してしまう「利用可能性ヒューリスティク」であり、どちらも厄介事を引き起こす。

 

「アンカリング」とは何かを決断する時、とりわけ情報が何も無いときに耳にした最初の情報から多大な影響を受けるということだ。

例えば、この家の価値は6000万円以上か?以下か?という問いを投げられたとする。この時、事前に「9000万」という数字を見せられた人の方が「3000万」という数字を見せられた人より家の価値を高く見積もる傾向にある。

これら9000万、3000万などという数字は家の価値とは無関係に示されたものであるのにも拘わらず、である。

 

利用可能性ヒューリスティック」は、「取り出しやすい」記憶情報に優先的に頼ってしまう現象である。最新の出来事や、特に心を動かされた出来事に影響を受ける。例えば、自動車事故より、飛行機事故(つまり自動車事故より滅多になく悲惨)を怖がる人が多い理由がこれである。

 

「アンカリングヒューリスティック」と「利用可能性ヒューリスティック」はどちらも危機一髪の判断や比較的どうでもいい日常のこまごました判断を下すのには役立つ。だが、複雑な物事を考えて確かな情報に基づき判断を下したいなら「ヒューリスティック」はちょっとした悪夢になりかねない。

 

次に、しくじるかも知れないという考えに対する脳の抵抗はいっそう大きい。これは「選択支持のバイアス」と呼ばれ、1度私たちが何か一連の行動をすると決めたら、それは正しい選択だったという考えにしがみつく。例えば、国政こ何もかもが最悪な状態になっているのが明らかなのに、大臣らが「前向きな進展があった」などと頑なに言い張るようなことだ。

状況によっては、それが誤りだと伝える行為そのものが、おのれの誤りを、誤りなのにも拘わらず、もっと頑なに信じさせるというデータさえある。

 

そして最後に、わたしたちは自分を凄いと思っている。実際はすごくないのに、自信過剰で、少しあんぽんたんとさえ言える。研究によると、わたしたちは自分の能力をやたら買い被っている。学期末のテスト結果を学生に予想させると、多数が自分を上位2割以内に置くという。

認知の問題とき、ダニング=クルーガー効果はよく知られている。これは、「特定の分野で能力が高い人はその分野での自分の能力に謙虚になる傾向にある。一方、その分野で何の能力もない人ほど、自分の能力を無闇に高く評価する」というものである。

こうした認知上のヘマが積み重なっていくと、同種の失敗を何度も繰り返すことになる。

 

まとめると

・わたしたちは世界を理解し、そこにパターンを見出したい欲望がある。世界が全くそのように機能していなくても「世界はこのように機能している」と思い込むことに多大な時間を費やしている。だから、わたしたちはフェイクニュースに騙されたり、宗教やイデオロギーの思想が生まれる。

・人類はリスクを査定し、前もって予測することが苦手である。さらに、わたしたちは対立する証拠は悪びれずに無視し、あなたは間違っているという意見を聞き入れない。

・計画を立てる際に、この種の甘さが入る動機は欲望と利己性である。特に得られるものの誘惑があまりにも強いとき、人はそうするのが妥当かを問うのが並外れて苦手である。